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圧倒的な完成度でユーザーを納得させた、GOFERの奇跡。
そのグルガン族の男は静かに語った。『グラディウス』の快挙も、単なる予兆に過ぎぬと。ただの続編という地位に飽き足らず、グラディウス世界のさらなる進化に成功した『沙羅曼蛇』の快挙すらも、これから訪れるものに比べたらちっぽけなものである。それはとてつもなく大きく、深く、暗く、そして美しい…。未来を予見できるというその男の言葉の真意を我々は後年に知ることになる。西暦1988年。その年の春に開催されたAOUショー会場において、私たちは“奇跡”を見た。男の言ったことは正しかったのだ。画面に釘づけになった。目が離せなかった。かつてこれほどまでに続編としての存在感を放った作品があっただろうか。そのゲームの名は、『グラディウスII GOFERの野望』。
STAGE00 新世界へのTABIDACHI

ある日、私のもとに尋ねてきた老紳士。彼はナイフを突きつけるかのごとく、するどく私に問いかけてきた。「グラディウスの真価とは何なのか?」…と。そして、研究所に送り届けられてきた謎の小包。送り主欄に書かれていたのは「G.O.F.E.R.」という英字。読み方は「ゴーファー」。中身は予想したとおりアーケード基板だった。かすれているが書かれているのは「KONAMI」のロゴ。「これはコナミ製システム基板TWIN 16の第二弾、間違いない、グラディウスIIだ」。私はいつからこの不可思議な迷宮に迷い込んでしまったのだろうか。しかし、進むしかない。それしか道が残されていない気がする。
かくして私は、『グラディウスII GOFERの野望』発掘を試みることにした。
STAGE01 1988年、AOUショーで起こった衝撃

コナミブースにおいて衝撃が走った。それは当初、発表予定のなかった作品がプレイアブルで置かれていたからだ。それが、我々と『グラディウスII GOFERの野望』とのファーストコンタクト。当時、コナミは緘口令を発動し、密かにこのタイトルの制作を進めていた。開発チームの存在を社内の人間も知らないというほど徹底したものだったとか。だからこそ、AOUショーでの電撃発表は衝撃的だった。
アーケードゲーム専用雑誌の『ゲーメスト』が騒ぐのは当然として、お子様向けファミコン情報誌『ファミリーコンピュータマガジン』でも見開き2ページの特集が組まれるといった異常事態が起きたほど。ゲームメーカーの開発者たち、アーケードゲームの卸問屋、ゲームセンター経営者、そして全国のグラディウスファン、いやアーケードゲーマーたちが注目する世紀の“続編”発表だったのである。
STAGE02 グラディウスも沙羅曼蛇も超越した続編

ある男の証言。
知り合いに、「『グラディウス』の続編は『グラディウス2』しか認めない!」と豪語する男がいたんですよ。だからそいつをゲーセンに連れて行って見せたんですよ、『グラディウスII』を。あの時のソイツの顔ったらすごかったですね。魂を抜かれたみたいに、じっと筐体を見て。ひと言も発しませんでしたよ。多分、目が離せなかったんでしょうね。でもそれは、ソイツに限ったことじゃなくて、私も初見のときはそうだったろうし、みんなそうでしたよ。美術館で芸術品に見せられる観客は何もしゃべらないじゃないですか。あれと同じ。本当に凄いものと出会った。そんな感じでしたね…。

『グラディウスII GOFERの野望』は、『グラディウス』とはまったく違った。音楽は前作の電子管弦楽のようなテイストから重いベースの乗った三連符を多用するテイスト(通称コナミ節)に変わっているし、ステージギミックにも月刊ムーを思わせる遺跡などの神秘的なものはなくなった。その一方で、『沙羅曼蛇』でのプロミネンスや巨大戦艦を彷彿させるものも登場するが、それらも同じ系統のものではない。

すべて我々の想像を超えたポジションへの着地。しかも、それは誰もが思い描いたグラディウスの続編と同じ道の延長だったとでも言うべきだろうか。圧倒されながらも納得した。誰よりもグラディウスを知っているコナミが、我々にもっとも正しいグラディウスの続編を提示してくれた。まさに、そんな圧倒的な完成度だったのだ。
つづく
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