忍者ブログ

[64]  [104]  [139]  [135]  [136]  [7]  [59]  [21]  [84]  [157]  [28

カレンダー

04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

リンク

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新記事

プロフィール

HN:
「犬夜叉 完結編」
性別:
非公開

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ

最古記事

P R

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

[PR]
r4igold
共通テーマ:ドラゴンクエスト テーマに参加中!


ドラゴンクエスト789

血路をひらけ! ドラゴンクエストは、よりドラゴンクエストらしく。



こんばんわ、レトロゲームレイダース/ジョーンズ博士です。

『ドラゴンクエスト』のナンバリングタイトルをめぐる旅も今回で最終回。もっとも新しいシリーズ『7』、『8』、『9』には作品ごとの明確な関連づけはされておらず、『ロト編』、『天空編』といった名称は設けられていません。しかし、あえて付けるのであれば『探求編』といえるのではないかと、個人的には考えている。それはなぜだろうか?今回はそのあたりの考察を述べていこう。

ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち
redline
「人は、誰かになれる。」


『ドラゴンクエストVII』は、実に面白い構造の作品です。主人公は、平和な村に住む漁師の息子。魔物や冒険といったものはすべて絵本の中だけのもので、そんな世界に憧れるという夢はあるけれども、いつか父親のように一人前の漁師になるという現実的な目標がある。さて、お分かりでしょうか?『VII』が過去のシリーズとまったく違うアプローチのRPGであることに。これまでのシリーズは、「プレーヤーが動かすのはファンタジー世界の勇者」でした。しかし、本作では「プレーヤーが動かすのは、ファンタジー世界の勇者に憧れるどこにでもいる普通の少年=プレーヤー」

つまり分かりやすく言えば、“カセットを指せばいつでもカセットの中で勇者になれた”時代へのオマージュであり、かつてのファミコン少年少女たちが、主人公セブンであり、マリベルであり、キーファなのです。

思い出してください。石版を台座にはめると異世界へ行ける。カセットをファミコンに挿すと別世界が楽しめる。とても類似していると思いませんか。ライバルであるファイナルファンタジーシリーズをはじめとする国産RPGが“映画”方面にシフトしていく中、「RPGはゲームだ」という主張を感じるのは私だけでしょうか。キャッチコピーの「人は誰かになれる。」とは、「RPGって、誰かになるってこんなに面白いってことを思い出してください」というメッセージに思えるのです。

非日常を楽しむゲーム。だからこそ、本作では“日常”を丁寧に描いています。ゲーム開始から約2時間。魔物も出てこないし、武器や防具を装備することもありません。両親や親戚、町の人々との関係が細かく設定されており、まずは世界にどっぷり浸かることが本作を楽しむコツです。しかし、その日常は石版の存在によって破られます。主人公たちは、まったく知らない異世界に飛ばされ、そこで魔物たちと生死をかけた戦いと冒険に身を投じていくことになるのです。“日常”から“非日常”への転換。映画版『ドラえもん』的というか、『ナルニア国物語』的というか、『終わりのない物語』的というか。親に内緒で裏山につくる秘密基地的なワクワク感から『ドラゴンクエストVII』の物語ははじまります。

過去作品以上にきわめて牧歌的。児童文学に通じるさわやかさな『ポポロクロイス物語』のような展開は本作の特長であるため、大人プレーヤーには少々スパイスが足りないと思われるかもしれません。ご安心いただきたい。平和だったはずの“日常”は、主人公たちが冒険を重ねるごとに“非日常”の狂気に侵食されていく。世界には、これまでいなかった魔物が姿を現し始め、その背後にいる魔王の存在も明らかに。そう、主人公たちは世界を創りかえるトリガーを押してしまった者の烙印を受け、平和な日常を捨て、巨大な魔と戦うことを余儀なくされていく運命に巻き込まれていく。

そしてくり広げられるのは、シリーズ最大規模の大冒険!主人公たちは、石版の力を借りて、過去と現代を行き来し、魔物によって封印されていた世界を解き放つ?時間改竄?を行なっていく。ストーリーも結構ハードです。魔物たちは人間のエゴに付け入るため、少年である主人公たちはいろいろな大人たちの醜い姿を目の当たりにしていく。そして、「それも人間の生き方」ということを学んでいくのだ。

そう。実は、『VII』という作品は、一見するといつものドラクエではあるが、そこに投影されている主人公はプレーヤー自身。そして、冒険の先に待ち受けるイベントの数々は、ファンタジー世界の出来事というベールを被っているものの、実は現実世界で起こりうる人生の試練そのもの。「ゲームをやっているはずが、現実世界と向き合っている」という構造がそこにはある。

それは、ファミコン少年少女たちのものだったドラゴンクエストが、10数年という時を経て、『VII』として大人になったファミコン少年少女たちと向き合った姿。大人向けの童話となって、大人の観賞に堪えうるRPGとして戻ってきたことを、私は高く評価したいのです。

最後に、キーファが主人公にすべてを託すシーンに『天元突破グレンラガン』のカミナとシモンのような関係性を、毒舌ばかりを吐くワガママお城様のマリベルの言葉の裏にある主人公を気づかう女の子らしさを見出せる方は、きっと『ドラゴンクエストVII』を好きになるはずだ。





ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君
redline
「見渡すかぎりの、世界がある。」


『ドラゴンクエストVII』は非常にメッセージ性が高く、またカセットを石版に置き換えたドラクエ自身のセルフパロティにもなっている挑戦的で面白い作品でした。その一方で、従来のドラクエスタイルが古臭いとも思われたという一面があったのも事実です。だが、これは喜ばしいこと。かつての大成功のために、ユーザーの期待?要望によって、ドラクエがドラクエであり続けなければならない“呪い”が解けたことを意味するからです。

『ドラゴンクエストVIII』は、フルモデルチェンジされた新しいドラクエでした。これまでのシリーズがあくまで「ファミコンのためのRPG」であることを引きずってきたのに対し、『8』では「PS2のためのRPG」というコンセプトで作り直されたドラゴンクエストだからです。

本作の面白さは、「世界を歩くこと」にある。それはまさにシリーズ一作目のユーザーへ伝えたいメッセージそのもの。あの頃は、16×16ドットのタイルを敷き詰めたような世界が、PS2というハードスペックによって手に触れられそうな世界となった。そう、“非日常”世界は、歩くだけでこんなに楽しい。そこには、どこまでも広がる平原が、岩場に押し寄せる白波が、小鳥のそえずりが聞こえそうな森林が、灼熱の砂漠が、旅人たちの足で作られた道がある。山の間から朝日が差し込み、天高くから世界を照らし、そして美しい夕焼けを作り、夜空には満点の星が浮かぶ。リアリティはない。だが、世界を息吹を感じる。そんな世界に入り込めることこそが、コンピュータRPGの面白さであることを私は『VIII』から再び教わることができました。

『ドラゴンクエストVIII』のストーリーは非常に控えめです。これは、市場に数多く出回るRPGへのアンチテーゼでもあり、ドラクエがずっと守り続けてきた伝統――冒険のプロセスにプレーヤーの数だけドラマが生まれる、そのことを如実に表している。まるで「世界をひとつ渡された」かのように、本作はそんな世界をまるごと味わう贅沢さがある作品だった。そしてそれは、ドラゴンクエストがこれから向かうべき道を示唆していたのです。



ドラゴンクエストXI 星空の守り人
redline
「そして、僕たちは天使と呼ばれていた。」


『ドラゴンクエストXI』がプラットホームにニンテンドーDSを選んだのは、それほど意外なことではないと私は思っています。なぜならば、PS3にも、Xbox360にも、Wiiにも、ドラクエが新たに進むべき道に適した環境はなかったからです。ドラクエに必要だったのは、手軽で他の人と接点が持てて、ライトユーザーが数多く所有しており、初期設定が面倒ではないハード。それはDSしかありませんでした。

ドラゴンクエストシリーズは、『VII』以降、日本RPGの最先端を走るブランドではなくなっていました。にもかかわらず、ドラクエは発売すればFF以上の販売数を誇る。なぜか?その答えは、「ドラクエは万人がとっつきやすいRPGだから」ではないでしょうか。

私は、この記事の最初に『探求編』という言葉を用いた。そう、それはゲーム内容についてではない。ドラクエは多くの難民を抱えて旅をつづけているのだ。『VII』からずっと。難民とは、これだけ多くのRPGが世の中にあふれ、ゲームシステムが複雑になったことにより、RPG離れを起こしている人を含めたRPG好きライトユーザーたちのことである。ドラゴンクエストは、その人々をどこに導こうとしているのか。おそらくオンラインRPGでしょう。意外に思われるかもしれない。だが、私は確信を持っていえる。「ドラゴンクエストが向かう次のステージは、MMORPGだ」と。

そもそも「ドラゴンクエストという作品が1プレイ用RPG」ということこそが偏見です。ドラクエはファミコン少年少女たちにRPGの面白さを伝えるために生まれただけのゲームに過ぎません。そして、世の中のRPGはネクストステージとして、プレーヤー同士の交流がプログラムにはないドラマを生んでいくオンラインに向かっているのは間違いないでしょう。

思い出してください。『IV』以降のドラクエは、操作キャラである仲間にも、人格や性格といった要素を感じられるシステムを投入し、プレーヤーの分身である主人公と、徹底的に「他人であること」を意識させてきました。そもそもコンピュータRPGの起源といえるテーブルトークRPGは多人数の“人間”が集まって行なうもの。技術の進化により、プレーヤーが他のプレーヤーと直接コミュニケーションを取ることが可能になった今、MMORPGはあるべきRPGの進化のカタチといえるでしょう。

シングルプレイ?MMORPGへ。その変革を担う『IX』は、まさにシリーズの集大成というべき作品でした。『III』以降封印していたキャラクターメイキング、過去シリーズのラスボスたちの総出演、お馴染みの重要アイテム、聞き覚えのある名曲の数々…。それらは、キャラクターのポリゴン表示、シンボルエンカウント、マルチプレイによるMORPGなど、旧来とはまったく異なる“顔つき”を持ちながらも、「やっぱりドラクエだ」と思わせてくれる作りは、私たちに「やっぱりドラクエはいい」と安心させてくれます。

多くの人々を導く。そんな芸当ができる作品は、日本ではドラゴンクエスト以外に存在しません。時間をかけて、ドラクエは人々をMMORPGを楽しめるレベルへと引き上げていったのかもしれません。顕著なのは世界を楽しませる『VIII』、そして人々との接点や協力&クエスト配信によりいつまでも遊べる『IX』。そしてそれは空前の大成功を収めました。そして、私たちが歩んできたこの道、わが旅はいよいよ、MMORPG、『ドラゴンクエストX 目覚めし5つの種族』を迎えます。

たしかに、今のMMORPGの多くには数々の問題点がある。しかし、私は期待せずにはいられない。かつてRPGの面白さを教えてくれたドラクエだからこそ、MMORPGを教えてくれるドラクエもきっと――と。

シリーズは25年。いたいけなファミコン少年だった私も、父親のぬわーーっというリストラの声を聞き、奴隷のようにブラック会社で働き、カノジョさんと出会い結婚し、やんちゃな子供と家庭団欒を手に入れる歳になった。年齢もそろそろベギラゴンを覚えられるくらいだ。日々の仕事に追われ、ゲームをやる時間は年々減っている。それでも、あの序曲のファンファーレを聞くと胸が熱くなる。勇気が湧いてくる。私にとってドラクエとは、きっといつまでもそんな存在なのだろうと思います。

愛されているがゆえに事前の非難も多いドラクエX。でも、そんなことはどうでもいいんです。Wii本体に入れて、あの序曲を聞いて、胸がグッとなったら準備OK。小難しいことは抜きにして、アストルティアの冒険を楽しもう!

ガンガンいこうぜ! 永遠の勇者たちよ



3ds r4iDSTTi 通販
PR
【DQ10発売直前】 ドラゴンクエストの軌跡(3)

Comments

名前
メールアドレス
URL
コメント
PASS

Trackback

Trackback for this entry: