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“魂”を忘れたコントラたちよ、DSで再び命を燃やし尽くせッ!
先日、レトロゲームレイダースの仲間たちとゲームバーで飲む機会があった。そこで盛り上がったのは、ニンテンドーDSのデュアルスクリーンをうまく使えていないメーカーが多いこと。そこで友人の一人がこんなことを言い始めた。「魂斗羅DSなんか、画面二つに分けてどうするんだっちゅーの!」。その瞬間、私は奴の顔面に鉄拳を喰らわせた。「貴様ッ、それでも魂斗羅かっ!」。
乱暴と思うかもしれない。それは違う。これは対話だ。拳で語り合う男同士の、いや、かつて魂斗羅(コントラ)だった同士のコミュニケーションなのだ。吹っ飛ばされた友人も起き上がると、「そうか、デュアルスクリーンにはそういう意味があったのか!俺が間違っていた!」と理解を示してくれた。俺たちがその後、仲直りの熱い握手を交わしたのは言うまでもない。
魂斗羅(コントラ)とはなんぞや?

魂斗羅(コントラ)とは、“熱き斗魂と遊撃戦術の素質を先天的に合わせ持つ最強の闘士の呼称”。本シリーズにおいては、地球侵略に訪れたエイリアンたちと戦える唯一の存在として描かれている兵士たちを指す。
世界を巻き込む20世紀最大の政治スキャンダルであるイラン?コントラ事件の反政府ゲリラ組織「コントラ」とは関係がない。1986年という事件発覚の年数が作品リリースのタイミングとかぶっているが、おそらく偶然である(笑)。
さて、『魂斗羅』という作品を説明しようと思うのだが、この作品ほど小難しい解説は必要ないでしょう。ひと言で言ってしまえば、アーノルド?シュワレツェネッガー似のマッチョとシルベスタ?スタローン似のマッチョが、ギーガーデザイン似のエイリアンをマシンガンで撃ちまくって殺すゲームです。それ以上でもそれ以下でもありません。
「ゲームの真骨頂は爽快感だぜッ、ヒャッハー!」を体現するこのシリーズは、とにかく「撃て!」、困ったら「撃て!」、迷ったら「撃て!」ですべてが解決するというラン&ガンなゲームデザイン。アメリカでは日本以上の人気を誇っているのもうなづけます。
さて、そんな『魂斗羅』シリーズは1987年に業務用ゲームとしてコナミからリリースされた。その後、ファミコン、MSX2に移植され、スーパーファミコンの『魂斗羅スピリッツ』、メガドライブの『魂斗羅 ザ?ハードコア』、PS2の『真?魂斗羅』などへと脈々とシリーズがつづいていくわけでずが、同シリーズはそのプラットフォームをコンシューマに移してから大切なものを失っていたことに気づいている人は少ない。
それは、 「縦画面」です!
上記の画像はアーケード版『SUPER魂斗羅』のものですが、魂斗羅という作品は横スクロールアクションをあえて縦画面仕様にすることで「先にどんな敵がどんな攻撃で現れるか?」という緊張感を持たせ、縦長の画面を贅沢に使うことでデカキャラを大迫力のまま縦横無尽に動かしたり、緻密に描かれた世界観をバーンと出すことで、業務用ゲームらしいリッチ体験をプレイヤーに与えていました。
しかし、コンシューマの場合、モニタの都合でどうしても横画面になってしまいます。コナミの魂斗羅シリーズの移植は素晴らしく、またその後に作られたコンシューマオリジナル作品もどれもが名作と名高いものばかり。縦画面が失われたことを話題にする者は少数派になるでしょう。しかし、私は声を大にして言いたい。「縦画面こそ、魂斗羅の“魂”であると!」。
そして、縦画面の魂斗羅は帰ってきました、ニンテンドーDSで。デュアルスクリーンを本気に愛しいと感じたはこれが初めてかもしれません。再び、「オレたちが大好きな魂斗羅をもう一度取り戻そうぜ!」というコンセプトで作られたのが、本作『魂斗羅 Dual Spirits』なのです!


80年代に名を馳せた、ゲーセンの鬼軍曹が帰ってきた!

『魂斗羅 Dual Spirits』の難易度はハンパではありません。イージーモードのステージ1でも油断すると10機全滅ということにもなりかねません。しかし、次の瞬間思い出したのです。「そうだ、あの頃のゲーセンのコナミゲームはみんなこんな感じだったぜ!」、と。
そう、80年代のコナミアーケードゲームの難易度はすさまじく高く、ゲーセンの鬼軍曹と呼ばれていたほどである。「死んだらとっとと去れ!」といわんばかりのあっけないゲームオーバー画面にカチンときながらも、「悔しいけれど、このままでは終われない!」となけなしの千円札を持って両替機に走るのが、ゲーマー三等兵の毎日でした。その点から言うと、『魂斗羅 Dual Sprits』の方向性は正しい。まさに、「原点回帰」にふさわしい作品なのです。
さきほど私は、本シリーズは撃てばすべてが解決すると言いました。しかし、同時に求められるものがあります。それは、敵の出現を察する“戦士の勘”だ!敵が現れるところに攻撃を集中し、次の攻撃に備える。「誤操作をしないこと」、「攻撃は的確に行なうこと」、「無駄なパフォーマンスは厳禁」。アメリカ海兵隊のブートキャンプで最初に教わるこの三点を忠実に守ることが、このゲームの上達のコツ。
かくいう私も、会社の行き帰りでプレイしつづけること一週間。イージーモード、ノーマルモードのクリアを果たすことができるようになりました。ただし、ハードモードは基本+予測が難しい攻撃へのフレキシブルな対応が求められるため、さらなる訓練が必要になるので注意が必要です!


シリーズの集大成として、圧倒的な完成度を誇る!

初代アーケード版を思い出させる縦画面仕様により、描かれる27世紀の荒廃した地球は2Dドット芸術の極み。風にたなびく熱帯雨林、飛沫の一つひとつまでが美しい渓流、海洋施設に打ち寄せる高波…。ドットだからこそ作り出せる世界観は味があるものです。また、二人同時プレイを意識した上下にコースの分かれたステージ構成。片方に敵が集中し、もう片方が援護に回るといったシチュエーションを発生させるといった細かい作りこみに、アクションゲーム職人の技が感じられます。
『初代魂斗羅』の「壁砲台」「3Dステージ」、『SUPER魂斗羅』の「兵器系ボス」「肉々しいエイリアンステージ」、『魂斗羅スピリッツ』の「ミサイル掴まり」「ステージ中の爆破」、『魂斗羅 ザ?ハードコア』の「浮遊バイク」「多間接ボスラッシュ」…など。2Dシリーズの「おおっ、これこそが魂斗羅よ!」という“よくわかっている”ギミックが満載だ。また、過去作のボスキャラが思いがけないところに現れるといった心憎い演出も。


“よくわかっている”という点では、ジェイク?カウフマンによる実に魂斗羅らしいBGMの数々にも注目したいですね。ほとんどのステージに旧作の同コンセプトステージBGMのフレーズが入っている。開発を担当したWayForward、ジェイク?カウフマンの「俺たち、魂斗羅が大好きなんだぜ」というメッセージをいたるところで感じられる愛あふれる作品です。
ステージは全部で9、コンティニュー無しなら1周45分くらいでクリアできる。こういう「ちょっとした時間で最高にリッチな体験ができるゲーム」は貴重です。通常のアクションだけでなく、各面でのテクニックが試されるショートゲーム『テクニック』も収録。40題これらをクリアしていくと、NES版の『魂斗羅』、『スーパー魂斗羅』がプレイできたり、ルシアやシーナといった往年の女戦士が使用できるようになるボーナスも。
熱き魂の鼓動を忘れたかつてのゲーセンの魂斗羅たちよ。ブラックバイパーの基地に突入し、その中枢を破壊せよ! ド派手な花火を打ち上げてやれ!! 健闘を祈る!
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二つの月、「愛」と「友情」と「裏切り」のファイナルファンタジー。
スーパーファミコンでこの作品を初めてプレイした「あの夏」のことを、私は一生忘れることができないだろう。『ファイナルファンタジーIV』。名曲「赤い翼」からはじまるオープニングに、私は国産RPGの新しい夜明けを見た。これからゲームはもっと凄くなる。そんな興奮を、私は抑えることができなかったのだ。
こんにちわ、レトロゲームレイダース?ジョーンズ博士だ。
今回、発掘した作品は、1991年7月にスクウェアから発売された『ファイナルファンタジーIV』。そう、あの夏はやたら暑かった。当時、私は親からゲーム禁止令を受けていたため自分のスーパーファミコンを持てなかったのだが、大好きなFFの新作が出ると聞いていても立ってもいられなかった。そんな私を不憫に思ってくれた友人がオレを家に招いてくれ、FF4をプレイさせてくれたのだ。
スーパーファミコンの本体スイッチを入れてはじまる期待の新作FFのオープニング。拡大縮小機能をうまくつかった滑空する五機の飛空挺!そして流れる決してファミコンでは表現できない荘厳さをまとった勇ましい曲「赤い翼」!それはまさしく“最高の演出”だった。
「映画的演出」…今ではゲームを語るときにこれほど陳腐な言い方もなくなってしまった。しかし、この当時、FF4のオープニングはまさにこの言葉でしか表現できない域に達していた。「RPGはプレイするゲームではなく、観る楽しみも与えてくれるのか!」。まさに、FFが劇場型RPGとして新たな歴史を歩みだした瞬間。それは、鮮烈としか言いようがない衝撃だった。
ファイナルファンタジーIVはすべてのRPGを過去のものにした!

それは言い過ぎではない。SFCだけに留まらず、メガドラも、PCエンジンも、FF4以前と以降では作り方があるで変わっている。従来通りの作りに終始したドラクエ5が名作にも関わらずユーザーから絶賛されなかったことも、FF4によってユーザーの価値観が変わってしまった影響のひとつなのは疑う余地もない。
FF4は「従来のRPGの常識と、これまで培ってきたシリーズの不文律」に挑戦した作品だ。主人公のセシルにスポットを当てたストーリー、常に入れ替わる仲間たちによるパーティ編成、美しいグラフイックで描かれたダンジョン、しかもそれが惜しげもなく使われていく構成、ドラマティックかつ二転三転するストーリー、コマンド制を廃止したアクティブタイムバトル、タイミングによって攻撃方法が異なるモンスターたち、どこまでも広がる冒険の舞台、そしてそれを奏でるBGMの豊富さ…。すべてが規格外だった。
眼下に広がる森やかなたの山脈まで描かれたダンジョン。
溶岩が湧きたつ地底にまで冒険の舞台は広がっていく…。
戦闘シーンは前作までと異なり背景がきちんと描かれるように。
今プレイし直してみると、雰囲気が『ラストストーリー』とよく似ている。
戦闘自体がイベントのワンシーンとして描かれるのは今作がシリーズ初。
航海中にリバイアサンに襲われるというパターンは前にもどこかで…?(笑)
地下水脈の奥に眠っている、10本足の悪魔?オクトマンモス!
その爆発力はパーティを全滅させかねないほどの威力!脅威のマザーボム!
絶対回避不可の三位一体攻撃を得意とする、メーガス三姉妹!苦戦は必至だ!
お前も蝋人形にしてやろうか!? 魔人形?カルコブリーナが襲いかかる!
ゴルベーザ四天王、土のスカルミリョーネ! 死んでから本領発揮するアンデッドの王!
ゴルベーザ四天王、水のカイナッツォ! その必殺攻撃は…以下自粛。
ゴルベーザ四天王、風のバルバリシア! 身にまとう風のバリアを脱がせてもスゴイ!
ゴルベーザ四天王、火のルビカンテ! 「炎とはこうやって使うものだ!」。
黒い甲冑?ゴルベーザ! 一流の剣を使い手であり、魔法にも精通する謎の男。
全滅寸前のセシルたちが謎の幻獣に助けられる!この霧のドラゴンはたしか…!?
暗黒騎士では闇に勝てない!セシルは自身の暗黒面と対峙する決意をする。
磁力の洞窟では鉄製武器を装備していると行動不能に…!
ミシディアに伝わる古の伝承は、セシルの辿る運命に大きく関わっていく…。
セシルやカインの育ての親であるバロン王は、最近、なんだかお疲れのご様子。
壁が迫ってくる罠によってこのままでは全員の命が危ない!その時…!
育った村を焼かれた過去を持つリディアは、初歩魔法であるファイアを使うことができない!
悲しすぎる父と母との再会によるエッジの怒りは、彼の潜在能力を引き出す!
都市を飲む込むほど巨大な殺戮兵器“バブイルの巨人”相手に勝算はあるのか?
アサルトドアーの9ディメンジョンはリフレクを使えば逆にカンタンに倒せる武器になる。
「セシルとローザの子が見れないのは残念だが…」シド、やめろーーーーーっっ!!
このタイミングでFF4と出会えたことは幸せだったと思う。なぜならこの感動は、今FF4を未プレイの方にプレイしてもらっても決して感じることができないものだからだ。あのFCからSFCへ移行する時代。今からすればチャチなFCのRPGを貪ってプレイしてきた下地があったからこそ、衝撃的なFF4の魅力を味わい尽せたのだ。
FF4は時代を超えた名作ではない。ストーリーとしてはライトノベル以下だし、セリフ回りも実はひどい。これよりもずっと完成度の高い作品はいくらでもあるだろう。しかし、人々が新しいRPGに渇望していたあの時期に出たという事実が、FF4をFF4たらしめている。
近年、PSPで『ファイナルファンタジーIV』と、セシルとローザの息子であるセオドアが主人公の『ジ?アフター?イヤーズ』がセットになったコンプリートコレクションが発売された。かつてFF4に魅了されたパラディンたちはノスタルジィな気持ちに浸るために、未プレイの方は昔の挑戦的なスクウェアの魂を感じるくらいの期待値でプレイしてみてはいかがだろうか。
「新しいRPGを創る!」─―そんなスタッフの意気込みが、クリスタルの輝きのように美しい。今、遊んでも楽しいかは微妙だが、国産ゲーム史に名を残す偉業を成し遂げたのは間違いない。
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私たちゼッタイに信じない。この目で本当に視るまでは。
限りなく“ホンモノ”に近い心霊系エピソード…。臨場感あふれる深夜の探索…。1990年代のリアルな女子高生たちのモーション…。少女たちの成長を見事に描ききったストーリー…。そんな余韻をぶち壊す驚愕の後日談(隠しエピソード)…。これはもう伝説の作品といえるだろう。

こんばんわ、トライライトシンドローム/ジョーンズ博士です。
今回発掘した作品は、1996年3月にプレイステーション用ソフトとして発売された『トワイライトシンドローム 探求編』と、同年7月に発売された『トワイライトシンドローム 究明編』の二本。同タイトルは、開発元?販売会社を変えてシリーズが発売されていますが、それらとはまったく別物なので、類似品にご注意ください。
※ただし、Specialは探求編?究明編がセットになったBEST版なので“買い”だ!
トワイライトシンドロームとは、どんなゲームなのか?

ひと言で言えば、女子高生3人組が、街にまつわる10つの怪奇事件に関わるADV。
たしかに、間違っていない。しかしこの説明では、まったくこの作品の“本質”を伝えられていないのが残念です。私が考える本作の凄さは以下の点です。

◎ 限りなくホンモノに近い心霊エピソード
このブログをご覧の方はすでにご存知かもしれませんが、かくいう私は怖い話蒐集家という一面も持っています。私自身も、これまで変な経験をいくつかしてきています。そんな私をして、ゲーム史上もっとも、「ホンモノっぽい!」、「たしかにこういう話はある!」、「こんな体験はある!」と唸ってしまうエピソード&演出。この追求が素晴らしい!!
◎ 限りなくホンモノに近い女子高生たちの日常
この作品のセリフパートは長い。そして、読みにくい。なぜか。それは、1990年代前半の女子高生らしさを可能なかぎり表現しているからだ。それは、サイドビューにおける探索パートでもいえる。2Dのドット絵にもかかわらず、アニメーションパターンを増やし、女子高生らしい表現に力を入れているのだ。
◎ 限りなくホンモノに近いSEやBGM
本作では、あまりBGMは存在しない。ゲームシーンのほとんどで使用されるのが、日常生活における生活音。それをBGMのように流している。もちろん、SEもすべて日常的にものばかり。ゲームらしいコミカルな効果音は皆無だ。
なぜ、これほどまでに限りなくホンモノに近いことに執念を燃やすのか?そこに、このゲームの“本質”が隠されている。本作はADVではあるが、「物語を読み解くこと」、「謎を解き明かすこと」が目的ではないのです。肝試しの臨場感を体感することが、この作品の“真のプレイスタイル”なのだ!
PSで肝試しを100%堪能しましょ?

この作品の特徴をあげるとすれば、それは「探索モード」だ。「サイドビュー画面で、ドットで描かれた女子高生が、ポリゴン(一部ドット)で描かれたフィールドを移動する」というこのモードは、ほぼ全シナリオで使用されている(一部、出番のないシナリオもある)。

実は、このモード。シナリオクリアを目指そうとすると相当メンドーくさい。普通のADVなら「→移動」とコマンドを押せば目的地に着くところを、わざわざ歩くのである。そう、システム的に走ることはできない。このゲームに否定的な方はこの点をよく指摘する。しかし、待ってほしい。このゲームのメインが、この探索モードだとしたら? 3人の女子高生ユカリ?チサト?ミカたちと、その場所を歩くことが目的だとしたら? このゲームの真に楽しむためには相応の準備が必要となる。
以下は、レトロゲームレイダース推奨のプレイスタイルだ。
その壱. 真夜中にプレイする。(午前2時以降が最適)
その弐. 部屋の照明は消す。(モニタの光だけでOK)
その参. ヘッドホンでプレイする。(かすかな音も聞き漏らすな)
その死. 自分の真横に鏡を置く。(たまに視線を感じるが気のせいだ)
その後. たまに振り返って「誰だ!?」と聞く。(返事があったらやばい)
このプレイスタイルとこのゲームの組み合わせは、個人的に最恐です。第三の噂「最終電車」と第八の噂「錆びた穽」、第九の噂「オカルトミステリーツアー」が特にいい感じ。ぜひ、性能のいいテレビと性能のいいヘッドホンで楽しんでほしいですね。
怖いだけじゃない!絶妙なストーリーテリング!

本作は、「三人の女子高生たちが街に潜むさまざまな怪異に足を突っ込んで何かを解き明かす」という物語ではありません。現実に少しずつ不満のある17歳?16歳の女の子たちが、憂さ晴らしにホラースポットに行ってエラい目に遭う…というだけのお話です。

また、この作品の主人公である2人、長谷川ユカリ、岸井ミカになんともいえない感情を抱くでしょう。それは、「イラッ」とか「ムカッ」というシンプルな感情ではなく、“理解できない異質な存在”とでもいうべきでしょうか。感情移入できないのです。私が男だからなのか。90年代の女子高生が異常だったのか。とにかく、本作では彼女たちの日常が一部描かれるのですが、その度になんとも言えないすわり心地の悪さを感じるのです。
ところが、そんな印象は最終章である第十の噂「裏側の街」で一変します。夕焼けの街に迷い込んでしまった三人はそこでさまざまなことを忘れていくことになり、ついに自分の中で本当に大切なものに気がつくというシナリオ。そう、『トワイライトシンドローム』とは、さまざまな体験を経て、少女たちが一歩前進する物語だったのです。
最後になって、ようやく長谷川ユカリと岸井ミカが「理解できる人間」になったような気がして、エンディングは上質なジュブナイルを呼んだかのような清清しさすら感じます。
これが、計算によるものなのか。はたまた偶然の産物なのか。正確なところは分かりません。ある筋から聞いた情報によると、シナリオ面の制作は相当難航していたらしいので、後者っぽいですね。とはいえ、ただのホラーゲームという枠に当てはまらない、妙な器の大きさを感じさせるゲームはそうはありません。
そして、ハッピーエンドの後に待つ、狂気の隠しシナリオ!

「探索編」と「究明編」の全10のシナリオにおいて大吉エンディング(Good ED)迎えると、隠しシナリオ「Prank」をプレイすることができる。これは、三人の中で後輩にあたる岸井ミカを主人公にした本編の後日談なのだが、本編とはまったく異なる恐ろしさを感じるショートストーリーだ。
ある日、登校中に謎の甘い香りを感じたミカ。それに対して、三人のひとりで霊感がある逸島チサトはミカに何かを感じて言う。「ミカちゃん、それ、妖精のイチズラだよ」。しかしその後、なぜか早送りのような奇妙な動作をくり返し、ミカを見捨てて帰るチサト。普段ではあり得ない行動だ。そんなあり得ない“異変”が、ミカの日常のいたるところで起き始める。
不可解、不可思議、理解不能…。すべての常識が崩壊し、ゆがめられたような世界に翻弄されるミカ。なんとか一連の事象から脱出することができたと思いきや、そこで待っていたのは制服を血だらけにしたユカリとチサト。一体、何が起きているのか。どこまでが夢で、どこまでが現実なのか。
後日談であり、次回作の予告にも取れる「Prank」。実は、事実上の続編『ムーンライトシンドローム』のあるシナリオに同様の展開があるにはあるが、個人的には無理やりはめ込んだ印象があり好きではない。「Prank」は、「Prank」単体として楽しむか、もしかしたら生まれていた本当の続編に思いを馳せて楽しむのがいいかもしれません。
ロムカセットからCD-ROMへの移行、そしてハード性能の飛躍な進化と、そのスペックをいかに使用するかという挑戦と苦悩と野心があった90年代後半。それは、バブル崩壊後の日本と同様に、手探りで進まざるを得ない危うさを感じる時代でもありました。折りしも、同じく手探りで一歩一歩進まなければならない“真夜中の探検”をテーマにしたこのゲーム。
そこには神がかったシンクロがあり、それはそれで不気味ですね。
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