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ロムカセットの中に広がっていた世界、いざ冒険の旅へ。
こんばんわ、レトロゲームレイダース/ジョーズ博士です。
今回発掘する作品は、国産RPGの王者『ドラゴンクエスト』シリーズ(1~9)まで。シリーズを通して、ドラゴンクエストという作品の魅力、そして、あまり知られていない「常に前作を破壊してきた挑戦の軌跡」について、3回にわたって語っていきたいと思う。
ドラゴンクエスト

「いま、新しい伝説が生まれようとしている。」
『ドラゴンクエストI』は
ファミコンのために生まれたRPGである。『ポートピア連続殺人事件』でヒット作を作った
堀井雄二氏と、天才プログラマー
中村光一氏(後のチュンソフト代表)は、当時、PCで人気を博していた『ウィザードリィ』や『ウルティマ』のようなRPGをファミコンで作りたいと考えていた。しかし、当時のファミコンはまだアクションゲームが主体。文字と数値の変動でさまざまな事象を表現するRPGはあまりにマニアックすぎる。ならば、
「ライトユーザーの子供向けのRPGを作ろう」 ということで生まれたのが、『ドラゴンクエスト』だった。
とはいえ、子供向けとなるとそれなりのタイアップを考えなければならない。プロデューサーの
千田幸信氏は、知人であった週刊少年ジャンプ編集長の
鳥嶋和彦氏に相談。氏は少年漫画雑誌に自分が好きという理由だけで、マニアックPCのRPG特集を組むような方だったので、ジャンプで総力をあげてバックアップする協力を約束。子供受けしやすいようにと、当時『Dr.スランプ』で人気を博していた漫画家の
鳥山明氏の協力も取り付けた。
ゲーム開発も終盤に差し掛かった頃、一人の男がエニックス本社に訪ねてきた。それは、当時TVCMなどの作曲で有名だった
すぎやまこういち氏。彼はどこから聞きつけてきたのかエニックスでファミコン用のRPGを作っていると聞いて、自分の書いた曲を使ってもらえないかとデモテープを持参してきたのだ。そのあまりにもせつなくはかなげで美しいメロディラインに、広大なアレフガルドの大地を見た面々は、すでにできあがっていたBGMを破棄し、すぎやま氏に全曲依頼することとなった(※注意 諸説あるため正確な話じゃない可能性あり)。
堀井雄二、鳥山明、すぎやまこういち、中村光一…。
彼らが集まったのはほんのささいな偶然だった。しかし、彼らが集まって生まれた『ドラゴンクエスト』は、商品キャッチコピーの通り、新しい伝説を生み出したのだった。
ドラゴンクエストII 悪霊の神々

「勇者の伝説が、再びよみがえる。」
『ドラゴンクエストI』はRPGの初級編として、私たちに
「成長する喜び」 を教えてくれた。戦いをくり返し、成長すれば、攻撃は強くなり、体力は増してゆく。そうすれば、今よりももっと遠くに旅することができる。その続編である『ドラゴンクエストII』教えてくれたこと。それは、
「パーティプレイ」 と
「広大な世界の旅」 だった。
前作をやったプレーヤーの多くが、最初に魔物と出会った瞬間、「今回はひと筋縄には行かない」と悟る。それは、敵が複数で襲い掛かってきたからだった。前作の一対一の戦いとは分けが違う。正々堂々なんて理屈はそこにはない。
生きるか死ぬか。生きたければ魔物たちよりも強くなるしかない。しかし、デメリットだけではないことは、サマルトリアの王子を仲間にして分かる。戦闘に仲間が加わるだけで、1ターンに二度攻撃ができる。攻撃しつつ、回復もできる。
戦略の幅が大いに広がったのだ。
ムーンブルクの王女を仲間に加えると、さらに選択の幅は広がる。どう戦ってもいいという自由さが、プレーヤーの個性が出るプレイを作り出し、そんな戦闘の紆余曲折に人々は
“自分だけのドラマ”を見た。広大な砂漠も、そびえたつ塔“ドラゴンの角”も、懐かしのアレフガルドも、南海のザハンも、海底洞窟も、ロンダルキアの大迷宮も。ただの街やダンジョンではなく、自分だけのドラマを盛り上げる舞台装置。その世界にいることが、何かを探して歩き回ることがとにかく楽しい。
ドラゴンクエストIIはそんなRPGの面白さを、これ以上ないくらいストレートに提示した。1987年、私たちは
1メガのカセットの中にたしかに世界を感じていたのだった。
ドラゴンクエストIII そして伝説へ…

「ふれたら最後、日本全土がハルマゲドン。」
ドラゴンクエストが最後に伝えるべきRPGの面白さ、それは
「キャラクターメイキング」 でした。自分で作ったキャラクターたちが、見知らぬ世界を冒険する。それが、『ドラゴンクエストIII』の使命だったのです。
ただ堀井雄二氏のすごいところは、このシリーズ三作目を
ただのRPGの教科書として終わらせなかった ところです。それは何か。ロト三部作として綺麗にまとめたところ? いいえ、そんなものは副産物のひとつにすぎません。RPGの究極の楽しさは、「誰かを演じること」。本作は、ストーリー全体を使って、ゲーム世界においての“異物”であるプレーヤーが、そのゲーム世界において“絶対に欠かせない最後のピース”であることを伝え、RPGというゲームとプレーヤーをシンクロさせることに成功していることです。
思い出してください。アレフガルドの大地に立ってあのメロディを聞いたときの胸の高鳴りを。エンディングの直前、ロトのマーチを聞いたときの感動を。なぜ、あのとき、あそこまで気持ちを盛り上ったのか。それは、1986年の『ドラゴンクエスト』からの3年越しの仕掛け。ゲーム中の誰もが知る存在でありながら、プレーヤーの誰もが知らない勇者ロト、
その物語を一番知っているのは「自分」という衝撃の結末が、ドラゴンクエストという世界とプレーヤーの距離をこれ以上ないくらい近づけたのである。
シンクロニティ、これこそがロールプレイングの神髄。私はこの仕掛けを“20世紀最高の演出”だと賞賛したい。
『ドラゴンクエストIII』は、
偉大なる父の足跡をたどり、最後の最後で父を超える少年の物語でした。それは、海を渡ってきた偉大なる先人『ウィザードリィ』や『ウルティマ』を追い、そして新たに自分だけの道を歩み始めるドラゴンクエスト自身を示しているかのよう。そう考えるのは、ちょっと格好良すぎるでしょうか。
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